2018年3月12日月曜日

東日本大震災7年目

2011年3月11日、
 あの日あの時間に。
私は生徒と面談をしていいた。
エッ学校が揺れる、、。
慌てて、生徒の手を引いて、机の下に入り待機した。
地震はとても長く、、気づいたら生徒が「先生!手が痛いです。」
夢中で生徒の手を強く握っていました。

生徒の家族とは連絡が取れず、
学校で過ごし
家族が全員無事であることを知ったのは10日後。
 しかし、居住地も無くなり、
友人知人との他界や苦しみが、。

 それから、家族や担任・周りの支えで高校を卒業し、
社会人としてしっかり働き、時々学校に来て先生方と話をして
成長の喜びを私たちも頂いて居る。

 私は福島県の飯館村出身。
想像もできなかった放射能濃度の高さ。
村の住民に移動命令が出て、、
私の姉夫婦も避難先に関しても色々あった。

そして、親友も東京電力のすぐ近くに
住み、何不自由なかった生活が
一転して、震災・放射能被災で、
移動先を転々と変えられて、
 その間 旦那様が病院移動中に他界して、
今は仮設住宅で独り暮らし。

 この7年間に恨みつらみはありましたが、
その友人も、「こうして、生きて居られてしあわせだ!」と、
周りの方々を気遣うほどになりました。

 7年の歳月の人生のひだの深さ、
生かされていることへの感謝をしつつも苦しみや、
想いが募ります。  

 3月11日、午前中同僚だった方の招待で
「利府町民劇団ありのみ第22回公演会にいった。
 
 ”浜田・馬の背お伽草子”を鑑賞し、
午後自宅で報道の誘導で黙とうをさせていただきました。

 行ったり来たりした私の心も、
笑いヨガの力や笑いの仲間、
周りの方々の支えと出会いで、
今こうして過ごせていることに感謝ながら、
日々を楽しく過ごせる喜びを頂いてます。
ありがとうございます。

0 件のコメント:

コメントを投稿